So-net無料ブログ作成

昭和定本日蓮聖人遺文 [日蓮]

日蓮の代表的な全集である『昭和定本日蓮聖人遺文』(全四巻)には、断簡を含めて八OO編近い「遺文」が収録されている。ほかに日蓮の直筆として、多数の自筆の文字曼荼羅がある。
1953年に発行され、1988年、1991年、2000年にあいついで改訂増補版が刊行されている。


img_reseach02.jpg



遺文の数からいえば日蓮のそれは、中世の仏教者では群を抜いている。しかも日蓮の場合、青年期から最晩年までほとんど途切れることなく遺文が残存しており、史料不足に悩まされる他の祖師に比較して、思想形成を辿るためにはこの上ない好条件となっている。

しかし、問題は史料の質である。これらの膨大な遺文のなかには、明らかに日蓮のものではない偽作史料がかなり含まれている。

日蓮は酒を嗜んでいた [日蓮]

この十余日は、すでに食もほとをど止まりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる事石の如し、胸のつめたき事氷の如し。然るにこの酒はたたかにさし沸して、霍香をはたと食い切て、一度のみて候へば、火を胸にたくが如し、湯に入るに似たり  (上野殿母尼御前御返事)


仏教徒が守るべき日常生活における規則に「五戒」というものがある。五戒とは、よく知られているように、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の五つ

これら五つのうち、最後の不飲酒戒の場合は、酒を飲むこと自体をいましめたというよりも、酒を飲むことによって、前の四つの戒めを犯しやすくなるからという理由によって制定された。こういった戒律は日本に伝わってくると、日本人は「酒を飲むこと自体がいけないのではないから、酒を飲んでも他の悪いことをしなければよいはずだ」と解釈するようになったようだ

特に禅系の寺院の門前には、「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)とあって、酒を飲むことが激しくいましめられていたが、薬として身体のために少しぐらい飲むのならよかろう、ということで、酒として飲むのではない、という意識から、「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という名をつけた


 酒を般若湯と言い換えた鎌倉新仏教の詭弁

秋元御書の真贋 [日蓮]

不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害するは第一の功徳と説き給う也 (秋元御書)

易しく言い換えると、次のようになる

生物の命を奪うことは、非常に重い罪である。法華行者は、道徳心があるから、生物を殺さないのである。しかし法華行者は、謗法を犯す者(法華経を蔑ろにする者)を懲罰しなければならない。そして折伏に応じないならば、謗法を犯す者(法華経を蔑ろにする者)を殺したとしてもやむを得ない。何故ならば、人を殺すことの不道徳より、謗法を犯すことを止めさせることの道徳の方が、遥かに正しく良いことだからである(人を殺すことは-10点で、謗法を止めさせることは100点なので、差し引き90点の善をしたことになる)


さらに激しく解釈してみよう


殺生戒は仏誡の第一であり、生物を残害しないのは道徳心の発端である。それにしても謗法の者を懲罰するは、法華行者の義務であり、いかに折伏してもこれに応じない者は、これが一命を断つとも已むを得ない。これかえって真の慈悲である。この意味からいえば、謗法者を殺すのは、法華経主義からいえば、不道徳でないのみならず、かえって大道徳になる

「日蓮は、謗法を犯す者を殺すことを、功徳とした」となるのである

日蓮宗の基礎研究書である「昭和定本日蓮聖人遺文」によれば、真筆は現存せず、写本が残っている。真偽は諸説あり、「平成新修日蓮遺文」には収録されていない。今後も議論が続く模様である

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。